インタビュー

2024.06.11

Stage:0で優勝後 eスポーツ選手として企業に就職 木村情報技術 まいぽり選手 インタビュー前編

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 フォートナイト公式アジア大会1位など、数々の実績を持つ日本屈指のプロプレイヤー、まいぽり選手。2022年に高校生eスポーツ大会Stage:0のフォートナイト部門で優勝を果たし、現在は木村情報技術でeスポーツアスリート社員として、活動を続けています。まいぽり選手にこれまでの人生や今の仕事内容について話を聞きました。(取材日:2024年4月25日、取材・文/寺澤 克)

始めたきっかけは友だちがみんなハマってしまったから プレイヤーネームの由来はマインクラフト?

──まず、ご自身のこれまでの歩みについて教えてください。ゲームと出会ったのは、いつ頃ですか。

まいぽり選手(以下敬称略) 最初がいつだったか、というのははっきり覚えていません。ただ、母親のガラケーでプレー したゲームだったかな。あれが、初めてのプレーだと思います。ロケットランチャーで敵を倒すゲームで。スマブラでもシールかスピリッツだったか、ちょい役で登場していたくらいなんですが、肝心のタイトルは覚えていません(笑)。

──その頃から既にシューティングゲームをプレーしていたんですね。そこからゲームで遊ぶようになったのですか。

まいぽり そうですね。やっていて本当に楽しいなと思い始めたのはNintendo 3DSとかWii Uが全盛期だった時期です。ポケモンやスーパーマリオで遊んでいました。

──なるほど。ちなみにフォートナイトは、いつからプレーされていたんですか。

まいぽり 小学6年生からです。ちょうど早期アクセスが始まってすぐの時期。いつも友だちとマインクラフト(マイクラ)で遊んでいたのですが、みんなフォートナイトに熱中してしまって、そっちに流れて行っちゃったんですよ。一緒にマイクラする人も減ってきたので、「俺もやるしかないかな、じゃあちょっとやってみようか」と思い立って始めることになりました。そしたら自分ものめり込んでしまって。ちなみにプレイヤーネーム「まいぽり」の由来はマインクラフトなんです。

──どういうことですか。

まいぽり マイクラで自分の名前を「マインクラフトポリス」にしていたんですよね。なんでポリスだったのかはよく覚えていないのですが、警察が好きだったんでしょうね。それで友だちが「マイポリ」って省略し始めて、そのまま呼び名として定着しました。

中学は卓球に打ち込む 体力測定はA判定常連 運動神経もバツグン


──友だちがみんなハマってしまったのが、フォートナイトを始めたきっかけということでした。友だちというと学校生活の方はどうだったんですか。

まいぽり 僕はずっと岡山県に住んでいまして、小学校卒業後は、家の近くの公立中学校に入学しました。ごくごく普通の流れですよね。その時は、まだ一般的な中学生と同じく、学校生活を楽しんでいました。

──部活動には所属していたのですか。

まいぽり はい、卓球部で頑張っていました。

──卓球ですか。入部を決めた理由はなんでしょう。

まいぽり 小学生の頃、お金持ちの友だちがいて、その人の家に卓球台が置いてあったんですよ。

──だいぶ大きなお宅だったんでしょうね。

まいぽり そうなんです。それで友だちみんなで一緒に楽しく遊んでいたから、そのまま部活も卓球部にしようかと決めたんです。そんな軽いノリでした。それほど大きな理由もなく入部を決めましたが、入ってからは結構頑張ってましたね。個人・団体ともに県大会に出場するレベルでしたし、副部長も任されていましたから。

──卓球もかなり上手なんですね。まいぽり選手は運動神経も良かったんですか。

まいぽり はい。当時から運動神経には自信がありました。学校でも「運動できる系の人」で通っていて、体力測定だと、小学校は5年連続A判定で、中学校でもずっと成績が良かったです。

ゲーミングPCの購入で競技に本腰 スカウト、そして就職へ

──eスポーツに集中したのはいつからですか。

まいぽり 本格的に集中し始めたのは、中学3年生からです。両親にせがんでゲーミングPCを買ってもらって、そこからはもう「ガチ」です。

──ゲーミングPCがほしいと思ったきっかけみたいなものがあったのですか。

まいぽり やっぱりSwitch版をプレーしていた時から「結構才能あるな」って思うことが多かったんですよね。自分で言うのもなんですが、飛び抜けて強かった。一般的には不利とされているSwitch版にも関わらず、FNCSアジア大会で15位を取れるくらいでしたし。それが本気でお願いした理由です。

──自分では確信があったと。ただ、ご両親はやっぱり反対したのでは。

まいぽり 少なくとも良い反応はしなかったです。デバイスも全部そろって40万円くらいと、決して安いものではなかったので、当然だとは思います。しかも、本当にプロになれるという保証もないし。でも、そこはもう本気でお願いするしかなくて、今まで貯めたお年玉も使って、やっとのことで承諾してもらえました。本当にその時のことは両親に感謝しています。

──そしてPCを購入して本腰を入れたと。ただ、中学3年生だとそろそろ進学も考える時期ですよね。

まいぽり PCを買ったというのもあって、PC自体に興味が出てきたので、高校はPCに触れられるところがいいなと考えていました。それで選んだのが、倉敷市にある水島工業高校の情報技術科でした。

──高校に進学してから部活動は続けたのですか。

まいぽり eスポーツに集中したいという思いがあって、高校生活は競技優先でした。大会がだいたい17~18時くらいからなので、部活動に入るのは難しいだろうと思って、帰宅部を選択しました。

Stage:0優勝はあくまで通過点 その後、木村情報技術からスカウトも

──そして2022年ですね。

まいぽり はい。学校を代表してStage:0に出場して、優勝しました。

Stage:0優勝時のようす。
このときデュオを組んだどうみてもあるぱか選手とは
今でも交友があるという


──2024年も開催が決定していますが、まいぽり選手はStage:0にどんな印象を持っていますか。

まいぽり 僕にとってはさらに上を目指していくための通過点のようなものです。既にプロとして活動していたので「絶対優勝できるな」という自信はありました。プロのプライドもあったので「勝って当然」「逆にここで勝てなければ世界には通用しない」と思っていたので、優勝できて良かったです。

──何か反響などはありましたか。

まいぽり ちょうどStage:0優勝とFNCSグランドファイナル3位、という実績が重なって、世界大会「Fortnite Champion Series: 2022 Invitational」の補欠枠に選ばれたんです。それで高校を休んで開催地のアメリカに1カ月近く滞在していました。そこで当時もスポンサーだった木村情報技術の取締役CIO 橋爪さんから「うちに入社しないか」という話がありました。

──進学などは考えなかったのですか。

まいぽり どうしてもテストが苦手で……。だからまた学校に通ってテストを受けるという選択肢はなかったです。やっぱりプロになって、フォートナイトを続けていきたいなという思いが強かったので、「あ、じゃあ入ります」とすんなり入社を決めちゃいましたね。

 二つ返事で木村情報技術への入社を決めたまいぽり選手。後半では、現在の仕事内容や日々のスケジュール、将来のことについて聞いてみました。

【この記事の後編】
eスポーツで就職 選手活動の傍らコーチング業務などを担当 木村情報技術 まいぽり選手 インタビュー後編
https://esports.bcnretail.com/column-interview/interview/240613_005284.html

プロフィール


まいぽり(xMipoli)

 岡山県出身。2004年9月2日生まれ。岡山県立水島工業高等学校卒業後、木村情報技術に入社。同社では初となるeスポーツアスリート社員。ALBA E-sportsを経て、現在はALBA JAPAN SERIES CHAMPION SCRIMの九州代表チームKIT StarLeven KYUSHUに所属。

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外部リンク

まいぽり選手のXアカウントはコチラ
https://twitter.com/xMipoli

KIT StarLeven KYUSHU 
https://starleven.jp/

木村情報技術
https://www.k-idea.jp/

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